日本海海戦勝利100周年!
「日本海海戦100年 両司令長官ひ孫『いまも尊敬』」(産經新聞)なんだかこれだけじゃ寂し過ぎる。讀賣新聞では社説で扱っていた。削除が早いので全文引用しておきます。
「[日本海海戦]『歴史の潮目を変えた海戦だった』」(讀賣新聞:社説)
日露戦争の帰趨(きすう)を決した日本海海戦から、今日で100年を迎える。
1905年5月27日から翌28日にかけての戦闘で、東郷平八郎元帥率いる連合艦隊は、ロシアのバルチック艦隊を壊滅させた。
世界の海戦史上、ほとんど類例のない完勝で、世界を驚かせた。その見事な戦いぶりは、1805年、ネルソン提督が率いるイギリス艦隊が、フランス、スペインの連合艦隊を破り、ナポレオンのイギリス進攻を阻止したトラファルガー海戦と、しばしば対比される。
日本海海戦の圧勝、そして日露戦争の「勝利」から、様々な歴史の教訓を引き出すことが出来るだろう。
開戦に際しては、軍事上の問題だけではなく、当時の国際情勢をも視野に入れた、様々な国家的戦略が練られていた。太平洋戦争の開戦とは、決定的に、異なる面である。
例えば、日本の諜報(ちょうほう)員は、西欧や北欧の各地で、ロシアの革命運動家たちにひそかに接触しながら、資金援助も行い、ロシア国内の攪乱(かくらん)に努めた。
戦局が日本に有利になった時点において講和に持ち込むという、開戦前からの構想の下で、米国に早い段階から仲介役を依頼していた。
日英同盟を結び、活用した。
英知を結集して、日本を脅かす大国ロシアと対決し、国難を乗り越えた。
その後の20世紀の歴史に与えたインパクトも大きかった。
ロシアの支配下にあった北・東欧から欧米の植民地だったアジア、アフリカにいたる各地の民族独立運動に、大きな希望を与えた。
日本海海戦の翌月、中国紙「大公報」は、「黄色人種が白色人種と併存する世界が訪れた」と論評している。
日清戦争後、中国から日本への留学生が目立ち始めたが、日露戦争が終結した翌年の1906年には1万人を超えた。留学生の中には、辛亥革命から共産党政権確立に至る過程で活躍した人物群も含まれる。
しかし、世界から熱い眼差(まなざ)しを向けられた日本は、やがて無謀な戦争に突入して、破局を迎える。
小説「坂の上の雲」で、日露戦争を戦った明治の群像を生き生きと描いた作家の司馬遼太郎は、「日露戦争の勝利が、日本国と日本人を調子狂いにさせた」と表現し、日本社会から合理的判断力が失われていったとの見方を示している。
世界史の大きな流れの中で、日露戦争とは何だったのか。日露戦後100年を契機に改めて考えてみたい。
「やがて無謀な戦争に突入して、破局を迎える。」というくだりにはあまりにも短絡的で、その背景を考慮せず、結果を知る今だから語れる”コロンブスの卵”史観で、今の価値観、戦争観でしか量れていない論だと思うが、司馬遼太郎に乗っかった文だからやもうえぬのかもしれぬ。『坂の上の雲』はあくまでも小説である。小説だから良い悪いではなく、社説に取り上げるなら日露戦争を扱う書は他にも沢山ある。
いずれにせよ、あの日露戦争から学び、持つべき心意気、魂というものを今の日本人は得なければならないと思う。
日本海海戦100周年ホームページ
内容も濃く、充分為になるサイトだと思います。是非、この記念日を機会に訪れてみて下さい。厳密に言えば今日27日が決戦の火ぶたが切られた日で、明日28日が決戦の終結となった日。
欧米列強によるアジア支配が進められた時代、民族史的にも有色人種に誇りと自信を与えた有意義な勝利であった。国力、兵力からもとても日本に勝算ありとは思えない戦いでの勝利は世界の人々を驚嘆させ、国際社会において、日本ここに在りと知らしめた。カナダではトーゴーという町が出現し、トルコのイスタンブールには,「東郷通り」という道ができ、欧米列強から独立を目指す支那・緬甸・越南・印度などから留学生が増加した。
この記念すべき日へのマスコミ、公的機関の対応はあまりにも冷酷過ぎる。というより日本人が持つべき日本人としての気概を得ようとする事に目を醒させてはならぬという思惑が表に見えぬところで動いているせいからか?となれば先ほどの社説も中共を気兼ねしての贖罪意識の刷り込みという意図が含まれているやも知れぬか?
いずれにせよ、この戦いにおいて故国の為に、いやそれのみならず、欧米列強による支配からアジアを救い、命を投げ打った英霊も靖国神社に祀られている事を忘れてはならない。
先人達の努力が無とならぬよう、日露戦争で轟かせた気概ある日本の勇姿を思い出させるべく、為政者、公務に携わる者はしっかり地に足をつけ、堂々とした外交を展開をすべし。
『皇国の興廃、此の一戦に在り。各員一層奮励努力せよ。』
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